中村俊輔、伝道師。

今日からJリーグが開幕する。

W杯イヤーの今年は、大物選手の移籍が相次いだ。
闘莉王が名古屋へ、柏木は浦和へ、都倉は神戸へ、小野と稲本は日本へ戻ってきた。
夫々が6月を見据えて新天地でそれぞれのヒストリーを刻むだろう。

そんな中最大の注目は、やはり中村俊輔。
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夢だったはずのリーガエスパニョーラ。
31歳という選手生活も晩年に差し掛かって、叶えた夢の大舞台。
しかし、スペインの地に馴染めず、半年でバルセロナの地を後にしたのは、
苦渋の決断だったに違いない。

確かに不運だった。
開幕直前の合宿中に、チームの精神的支柱だったダニエル・ハルケ主将が、
心臓発作により突然の逝去。

ポチェッティーノ監督は立て直しを試みるも、
36歳の青年監督にその手腕を期待するのも酷な話で、
開幕からチームの迷走は続いた。
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ハルケを失ったディフェンスラインには安定感が無く、大量失点の試合も多く、
苦しい試合運びに加え、孤高の天才パサー・デラペーニャを怪我で欠いたことにより、
得意のパスサッカーは陰を潜め、ロングボール主体のサッカーに終始した。

中盤の頭上をボールが通過するサッカーでは、
足下でボールをもらうタイプの俊輔にとって、そこに居場所は無かった。


俊輔はインタビューでよくこう答えている。
「自分にとっては日本代表の存在が大きい。日本代表で出場することが全て。」

だからこそ、憧れのスペインで苦杯を舐めるかたちの結果に終わっても、
周りからそう思われるのを承知で、
代表で結果を残す為に、日本に戻ってきた。
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そんな俊輔には伝道師の役割が求められている。
円熟を迎えた者は、自然と「伝承」の役割を担うもの。

代表もそうだが、
ここ数年の横浜マリノスもお世辞にもいい結果を残しているとは言い難い。
今のマリノスの選手達で、8年前、俊輔と共にプレーしたことのある選手は、松田ら数人。
20代前半の選手達が多く、きっと俊輔に憧れた選手も多いはずである。


かれこれ5ヶ月前の記事だが、
俊輔について書かれた数ある記事の中で、僕が最も共感した記事を書く事にする。


「サッカー選手がボールを蹴る時間は長くて三十余年。
中村にもいずれタイムアップのときがくる。

だがその肉体に蓄えられたおびただしい記憶と情報は、
一代限りで消去されるより、たいまつの火となって受け渡されるべきものだろう。


高校時代より自分のプレーの課題をノートに記しては、何度も読み返してきた。
19歳で代表合宿に初めて呼ばれ、諸先輩に教えを請う勇気が持てぬまま、
一挙手一投足を網膜に焼き付けた。
初めて移籍したイタリアの開けっぴろげな人と風土に触れて、
自分と他者を隔てるドアを開け放とうと心に決めた。

“でもまだ未熟。人を引きつける言葉がない。人としての駆け引きもできない。”

そう語りつつ、年少になったばかりの子どもとその友達たちに声を掛かけ、
メディアに対する説明責任も引き受ける。
そして“人として自然であるため”の家庭の営みも。
それら全てが、中村のかたちを少しずつ変えてゆく。」

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中村俊輔からマリノスへ、代表へ、日本サッカーへ・・、紡いでほしい。
そしてなによりもW杯で、
彼自身が納得した結果を出してほしいと、一サッカーファンとして切に願うのである。







「今日の一枚。」
アメリカでの発売が4月3日に決まったようです。日本は4月下旬から。
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3G対応モデルは梅雨頃か? 水面下で、キャリアの戦いは進んでいる。。。

※追記
日本では、3Gモデル対応モデルも、WiFiモデルと同じ4月下旬に出るそうです。
失礼しました。
詳細はこちら。
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by shibapiero | 2010-03-06 11:52 | 柴崎スポーツ コラム編

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