2006年 08月 30日
定番の存在証明
前回の記事で、24時間テレビに触れましたが、僕の友達で武道館に見に行った人がいました。なんでも出演者の知り合いだとか。すごいと言うかびっくりです!
ずいぶん風が涼しくなってきました。今日は制服・サッカー着ともに長袖を着ました。半袖よりも長袖派の自分としては、涼しくなってきたのは、嬉しい限りです。夏の最期を飾る麻布十番祭りも終わり、そして一昨日は、食卓に秋刀魚があったりと、秋がもうそこまで来ています。まぁしかし、季節がいくら変わろうとも、ラーメンが恋しいのはオールウェイズでありますw 8月中旬に行った波崎遠征の前に、久々に山頭火に行きました。遠征前、調子を上げるためにも、この山頭火戦は絶対に負けられない戦いだったのである。
店に入る前は、いつも通り、塩ラーメンと香味味玉を注文する予定でした。しかし、店に入ると、「ねぎそば」と書かれた新メニューが張ってありました。よく見ると、スープのないラーメン・味付け卵入りと書かれ、写真には青ねぎがこれでもかと盛られていました。その写真を見た僕は、苦渋の決断を下し、「・・・ねぎそば下さい。」
数分後・・・
ねぎそばが出てきた。食べた。
結論から言おう、半分以上残して、ごちそうさまをしてしまった。絶対に負けられない戦いに於いて記録的惨敗を喫してしまったのである。ラーメンを残したまま精算したのは初めてだ。というか、あんなのラーメンじゃない。やっぱり、ラーメンはスープがあってラーメンなのだ。
やっぱり、山頭火に行ったら、定番の塩ラーメンを頼むべきなのだ。
定番の。
そう、今日は“定番”のお話だ。
何事にも、定番というものがある。時にそれをセオリーとも呼ぶこともあるだろう。
食にも、音楽にも、服にも、色にも、そしてサッカーにも、なんの世界にでも定番はあるはずだ。いくらデザインが斬新になろうとも、いくら機能が進化しても、定番は定番として存在するのである。
例えば、SALE。ラコステは季節物や新商品・新カラーは毎回ちゃんと30パーセントOFFになる。しかし、定番のワニのマークがついたカラーポロ、これは断固としてSALEしないのである。(アウトレットを除いて。)
単純に売れるからである。
他にも、アイスクリームといえばバニラ、炭酸飲料といえばコカコーラ、夏の定番歌手(ソング)といえばサザンやTUBE、最近ではケツメイシあたりもそうだろう。ようは、定番とは、確固たる地位を築いた存在にしか与えられない、一種の称号なのかもしれない。
確固たる地位を築くということは、多くの人々から認められる必要性がある、それもある程度の期間続けて。ある意味、万人受けするものとも言える。先日書いた、トリコロールも定番の配色である。
しかし、定番は一歩間違えれば、「つまらない」時がある。何から何まで定番で揃えると、遊び心という名の個性の欠陥に繋がる。だから、斬新なものやトレンドなものが生まれるし、それは必然である。
逆に、あることに興味を持ち、それに対しての知識が人並み以上に増えてくると、定番を軽視し、奇抜で斬新なものばかりに目が行くようになる、と僕は思う。自分の今までや周りの人間を思い出して欲しい。そういったことはないだろうか。映画、音楽、洋服・・・走りかけの知識しかないと、誰でも知っているような定番~(ナンチャラ)を批判するような行為。しかし、それはそれでまた「つまらない」のである。いくら時代の最先端を取り入れようと、そればかりではどこかアンバランスになる。従って、定番を軽視することはよくない。
定番というのは、どんなに時代が進化して、どんなに新たな流行が生まれようとも、自然にその時代に溶け込むだけの力を持っているのである、逆にそれこそが定番と呼ばれる所以なのだ。
その道を極めた人ほど、定番の存在を重要視するものである。
というのも、定番のよさをわかるには、やっぱりいろんなものを知っている必要があるし、目が、舌が、耳が、肥えているからこそ、定番の存在を定番として認めれるようになるのではないか。僕はそう思う。
ということは、自分はまだなんの分野でも定番を認めれる人間ではないな・・・と、気付いてしまったところで、今日は失礼します。
P.S 五輪の候補地が、東京TOKYOに決まって嬉しいです。
ずいぶん風が涼しくなってきました。今日は制服・サッカー着ともに長袖を着ました。半袖よりも長袖派の自分としては、涼しくなってきたのは、嬉しい限りです。夏の最期を飾る麻布十番祭りも終わり、そして一昨日は、食卓に秋刀魚があったりと、秋がもうそこまで来ています。まぁしかし、季節がいくら変わろうとも、ラーメンが恋しいのはオールウェイズでありますw 8月中旬に行った波崎遠征の前に、久々に山頭火に行きました。遠征前、調子を上げるためにも、この山頭火戦は絶対に負けられない戦いだったのである。
店に入る前は、いつも通り、塩ラーメンと香味味玉を注文する予定でした。しかし、店に入ると、「ねぎそば」と書かれた新メニューが張ってありました。よく見ると、スープのないラーメン・味付け卵入りと書かれ、写真には青ねぎがこれでもかと盛られていました。その写真を見た僕は、苦渋の決断を下し、「・・・ねぎそば下さい。」
数分後・・・
ねぎそばが出てきた。食べた。
結論から言おう、半分以上残して、ごちそうさまをしてしまった。絶対に負けられない戦いに於いて記録的惨敗を喫してしまったのである。ラーメンを残したまま精算したのは初めてだ。というか、あんなのラーメンじゃない。やっぱり、ラーメンはスープがあってラーメンなのだ。
やっぱり、山頭火に行ったら、定番の塩ラーメンを頼むべきなのだ。
定番の。
そう、今日は“定番”のお話だ。
何事にも、定番というものがある。時にそれをセオリーとも呼ぶこともあるだろう。
食にも、音楽にも、服にも、色にも、そしてサッカーにも、なんの世界にでも定番はあるはずだ。いくらデザインが斬新になろうとも、いくら機能が進化しても、定番は定番として存在するのである。
例えば、SALE。ラコステは季節物や新商品・新カラーは毎回ちゃんと30パーセントOFFになる。しかし、定番のワニのマークがついたカラーポロ、これは断固としてSALEしないのである。(アウトレットを除いて。)
単純に売れるからである。
他にも、アイスクリームといえばバニラ、炭酸飲料といえばコカコーラ、夏の定番歌手(ソング)といえばサザンやTUBE、最近ではケツメイシあたりもそうだろう。ようは、定番とは、確固たる地位を築いた存在にしか与えられない、一種の称号なのかもしれない。
確固たる地位を築くということは、多くの人々から認められる必要性がある、それもある程度の期間続けて。ある意味、万人受けするものとも言える。先日書いた、トリコロールも定番の配色である。
しかし、定番は一歩間違えれば、「つまらない」時がある。何から何まで定番で揃えると、遊び心という名の個性の欠陥に繋がる。だから、斬新なものやトレンドなものが生まれるし、それは必然である。
逆に、あることに興味を持ち、それに対しての知識が人並み以上に増えてくると、定番を軽視し、奇抜で斬新なものばかりに目が行くようになる、と僕は思う。自分の今までや周りの人間を思い出して欲しい。そういったことはないだろうか。映画、音楽、洋服・・・走りかけの知識しかないと、誰でも知っているような定番~(ナンチャラ)を批判するような行為。しかし、それはそれでまた「つまらない」のである。いくら時代の最先端を取り入れようと、そればかりではどこかアンバランスになる。従って、定番を軽視することはよくない。
定番というのは、どんなに時代が進化して、どんなに新たな流行が生まれようとも、自然にその時代に溶け込むだけの力を持っているのである、逆にそれこそが定番と呼ばれる所以なのだ。
その道を極めた人ほど、定番の存在を重要視するものである。
というのも、定番のよさをわかるには、やっぱりいろんなものを知っている必要があるし、目が、舌が、耳が、肥えているからこそ、定番の存在を定番として認めれるようになるのではないか。僕はそう思う。
ということは、自分はまだなんの分野でも定番を認めれる人間ではないな・・・と、気付いてしまったところで、今日は失礼します。
P.S 五輪の候補地が、東京TOKYOに決まって嬉しいです。
by shibapiero | 2006-08-30 22:56 | others...