一言の重み

今日は少し哲学的な話である。
(いや、そんな大それた話ではない。)

日本語というのは難しい。
僕はたまに、軽率な、ないしは意図しない伝わり方をする言葉を、ぽろっと選んでしまうときがる。
これはもしかしたら、やまとよく議論する「幼稚舎生に決定的に欠けている要素」のひとつかもしれない。
(と小学校の教育のせいにしてみたり)

それを初めて意識したのは、
2年前、曲がりなりにも就職活動をしていたとき、
某広告代理店の最終面接の数日前に、人事の偉い方に呼ばれて話した時。
「きみは本当に広告の会社で働きたいのか? 伝わり方に問題のある言葉を選び過ぎだ。」
とご指摘頂いた時である。

それ以来、ずいぶんと注意して言葉を選ぶようにしているが、
今でもたまにやってしまう。

最近は、活版印刷の偉人、高岡さんと話したときも、同じような事を自分で痛感した。

でも逆もある。
例えば、ふいに人から言われた言葉が、とても嬉しくて印象に残っていたり。
まぁその逆の逆も当然ある。
つまり、人から言われたさりげない一言に、とても傷ついたり。

コミュニケーションとか、人とのやりとりを自分の仕事の前提に置きたいと思っている僕は、
是が非でもこれを少なくしたいと思っている。
というか限りなく「0」に近づけていかなければならない。

だからここ2年くらいは以前よりは少なくなっているはずなのだが、
やはり未だにやってしまうのである。

単純に、自分の意図していない伝わり方や、
伝えようと思っている事が的確に伝わらないというのは、非常に悔やまれる。

なぜならば、それはコミュニケーションとして成り立っていないから。
そして一言というのは、その後の状況、経験、立場、といったものを容易に左右してしまう。

挽回できる場合ならばまだしも、できない場合は文字通り、取り返しのつかないことになったりもする。
どちらにしろ、非常に悔しいこと、いや、もったいないという言葉の方が適切か。

英語もままらないが、
日本語も極めて難しく、未だに習得しきれたと言えない言葉である。







「今日の一枚。」
夜の東京国際フォーラムは、とても心地がいい。
結構な穴場スポットである。
a0049167_21113436.jpg

[PR]

by shibapiero | 2009-08-02 21:18 | feel

<< 雑食。 1秒間に720枚のDVDが手の... >>