カテゴリ:柴崎スポーツ コラム編( 8 )

中村俊輔、伝道師。

今日からJリーグが開幕する。

W杯イヤーの今年は、大物選手の移籍が相次いだ。
闘莉王が名古屋へ、柏木は浦和へ、都倉は神戸へ、小野と稲本は日本へ戻ってきた。
夫々が6月を見据えて新天地でそれぞれのヒストリーを刻むだろう。

そんな中最大の注目は、やはり中村俊輔。
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夢だったはずのリーガエスパニョーラ。
31歳という選手生活も晩年に差し掛かって、叶えた夢の大舞台。
しかし、スペインの地に馴染めず、半年でバルセロナの地を後にしたのは、
苦渋の決断だったに違いない。

確かに不運だった。
開幕直前の合宿中に、チームの精神的支柱だったダニエル・ハルケ主将が、
心臓発作により突然の逝去。

ポチェッティーノ監督は立て直しを試みるも、
36歳の青年監督にその手腕を期待するのも酷な話で、
開幕からチームの迷走は続いた。
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ハルケを失ったディフェンスラインには安定感が無く、大量失点の試合も多く、
苦しい試合運びに加え、孤高の天才パサー・デラペーニャを怪我で欠いたことにより、
得意のパスサッカーは陰を潜め、ロングボール主体のサッカーに終始した。

中盤の頭上をボールが通過するサッカーでは、
足下でボールをもらうタイプの俊輔にとって、そこに居場所は無かった。


俊輔はインタビューでよくこう答えている。
「自分にとっては日本代表の存在が大きい。日本代表で出場することが全て。」

だからこそ、憧れのスペインで苦杯を舐めるかたちの結果に終わっても、
周りからそう思われるのを承知で、
代表で結果を残す為に、日本に戻ってきた。
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そんな俊輔には伝道師の役割が求められている。
円熟を迎えた者は、自然と「伝承」の役割を担うもの。

代表もそうだが、
ここ数年の横浜マリノスもお世辞にもいい結果を残しているとは言い難い。
今のマリノスの選手達で、8年前、俊輔と共にプレーしたことのある選手は、松田ら数人。
20代前半の選手達が多く、きっと俊輔に憧れた選手も多いはずである。


かれこれ5ヶ月前の記事だが、
俊輔について書かれた数ある記事の中で、僕が最も共感した記事を書く事にする。


「サッカー選手がボールを蹴る時間は長くて三十余年。
中村にもいずれタイムアップのときがくる。

だがその肉体に蓄えられたおびただしい記憶と情報は、
一代限りで消去されるより、たいまつの火となって受け渡されるべきものだろう。


高校時代より自分のプレーの課題をノートに記しては、何度も読み返してきた。
19歳で代表合宿に初めて呼ばれ、諸先輩に教えを請う勇気が持てぬまま、
一挙手一投足を網膜に焼き付けた。
初めて移籍したイタリアの開けっぴろげな人と風土に触れて、
自分と他者を隔てるドアを開け放とうと心に決めた。

“でもまだ未熟。人を引きつける言葉がない。人としての駆け引きもできない。”

そう語りつつ、年少になったばかりの子どもとその友達たちに声を掛かけ、
メディアに対する説明責任も引き受ける。
そして“人として自然であるため”の家庭の営みも。
それら全てが、中村のかたちを少しずつ変えてゆく。」

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中村俊輔からマリノスへ、代表へ、日本サッカーへ・・、紡いでほしい。
そしてなによりもW杯で、
彼自身が納得した結果を出してほしいと、一サッカーファンとして切に願うのである。







「今日の一枚。」
アメリカでの発売が4月3日に決まったようです。日本は4月下旬から。
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3G対応モデルは梅雨頃か? 水面下で、キャリアの戦いは進んでいる。。。

※追記
日本では、3Gモデル対応モデルも、WiFiモデルと同じ4月下旬に出るそうです。
失礼しました。
詳細はこちら。
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by shibapiero | 2010-03-06 11:52 | 柴崎スポーツ コラム編

絶対南アフリカに行ってもらいたい男の物語。

サッカー最終予選の最終節vsオーストラリア(通称:ラリア)が明日に控えています。
スタジアムは、吉村君の留学先メルボルン。

AWAYなのに、キックオフが19:20というところが、D社の力技でしかないとまた思ってしまう。
まぁ最終予選がもつれていれば、この試合でW杯出場が決まる決戦になったことを考えると、D社が全力でこの時間にしたとしても納得なのか。

まぁそんな話はさておき、
皆さんも記憶に新しいと思いますが、2006年のワールドカップの初戦で
日本はオーストラリアにラスト10分で3点をぶち込まれ、
結果的に1勝もできないままドイツの地を後にしたわけです。

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その借りを返すはずだった先日のHOMEでのオーストラリア戦はスコアレスドロー。
そして三度目の正直でこんどこそ・・!という試合が明日です。


そんな日本国民にとって非常に注目度の高い試合に、ある一人の男が先発しようとしています。


山口 智

遡ること、4年前。
慶應ソッカー部にデータスタジアムの技術を無償で導入しようという時の条件のひとつが、
当時人手が足りていなかったデータスタジアムの仕事を、僕らが手伝うというものでした。

そこでやったひとつの仕事が、Jリーグのすべての選手のショートムービーの作成と、選手一人一人の批評を書くというものがありました。
面白くもあり・・辛くもありました。w
僕と山浦と、あとDSの社員2人の計4人で割り振って、
J1・J2全チーム全選手のプレ−をくまなくチェックするわけです。
そこで僕は、ガンバ、フロンターレ、ヴェルディ、大宮など7チームくらいを担当したのを覚えています。

そしてチェックしてデータベースを作ったわけですが、
僕が担当したチームの中で一番上手い!と思ったのが、この山口智だったわけです。
(ちなみに山が選んだ一番は、当時ジェフのストヤノフ。 この頃のジェフの監督はオシム。)
カバーリング能力、1対1の強さ、ボールポゼッション全てがハイレベルで、 
なおかつセットプレーでの得点能力が非常に高い。

そんな山口は、ワールドユース出場に出場したものの、シドニー五輪では宮本などの陰に隠れ補欠メンバーに。その後も代表にたまに招集されても出場しないということが多く、未だAマッチ出場は2試合となぜか代表には縁がない。

しかしクラブレベルでの活躍は素晴らしく、ガンバのゲームキャプテンを任せられ、
2008年はなんと、公式戦60試合に出場したタフさ。
この60という数字がいかに凄いかは、サッカー経験者なら分かるはず。
単純計算で、1年間に6日に1試合やってるということになります。

そんな、代表に縁のなかった山口に、ついにスポットライトが当てられよとしています。
中澤の発熱によって巡ってきた大チャンス。しかもオーストラリア戦。
しかもD社のおかげでゴールデンタイムに放送!w

日本で最も層が薄いと言われるセンターバック。
山口ならそつなく、そして来季名古屋入りが噂される194cmのケネディを押さえてくれるはず。

「(今まで招集や出場できずに)外から見てきて思っていた事もあるし・・」

山口智。31歳。

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コンフェデITALY代表のカンナバーロは35歳。
今度こそ、絶対、南アフリカの地に立ってもらいたい。








「今日の一枚。」
山口と同世代。
BLENDA BLACKモデルの、安西ひろこ。
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・・・文句なしw
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by shibapiero | 2009-06-16 10:28 | 柴崎スポーツ コラム編

あるサッカースパイクの、物語。

昨日、adidasの先輩の社員の方に、
「おまえプレデターがなんで作られたか知ってる?」と、切り出され、
教えてもらったふたつのエピソードを紹介します。

サッカーをやってなかった方は、
「プレデター」と言われても??と分からないと思うので説明すると、
アディダスと言ったら、プレデターというくらい、
インターナショナル企画で発売され、
世界のトッププレイヤーがこぞって履いている、
adidasのシンボル的存在の高機能スパイクのことです。

「プレデターの物語。」
時は、1990年。
W杯イタリア大会。
西ドイツが優勝し、イタリア代表で、Jリーグのジュビロでも活躍したスキラッチが得点王になった大会。
しかし、この大会はW杯史上最もゴールが少なく、「つまらない」大会と比喩された。
そこでFIFAはadidasに「もっとゴールの入るスパイクを作って欲しい。」と依頼し、
研究開発の結果、プレデター「略奪者」(=ゴールを略奪する)というスパイクが誕生する。
当時としては斬新すぎるデザインで、
ボールにカーブをかけるためのフィンがついたスパイクだった。

そして8年後の98年W杯フランス大会。
満を持して登場したプレデターは、
ベッカム、デルピエロ、ジダンというトッププレイヤー3人の足下を支え、
ジダンの決勝2ゴールの活躍もあり、地元フランスが優勝した。
(ジダンの決勝2ゴールは共に、ヘディングだったけど・・・笑)




もうひとつはパティーク。
僕たちが中3の頃に当時マリノスに在籍し、
日本代表で名波から「10」を完全に勝ち取った感のある、
中村俊輔が広告塔となって発売されたパティークは、
JAPANモデルのスパイクとしてあまりにも有名で、
サッカー経験者なら必ず1度は履いたことのあるスパイクだろうと思います。

今は、ファルカスにモデルチェンジして、
そしてそろそろ「パティークX」(だったと思う)という、
¥13000台でカンガルーを使った新作が登場します。
(NIKEのスパイク、スーパーリゲラに対抗したモデルだと思います。苦笑)

「パティークの物語」
1990年代後半。
adidasのサッカーシューズ企画開発者が、
フランスのサッカー用品店に行ったとき、
現地のフランスの子供が、あるスパイクを見て「これいいね!」と言っていたという。
それを見て、その企画開発者は、日本でも日本のサッカー少年に「これいいね!」と言ってもらえるような全く新しいスパイクを作りたい。と思い、
カンガルー革をadidasの三本線のラバーで足全体を包み込む形状にすることで、フィット感、素足感覚に優れた、日本オリジナルのスパイク、
「パティーク」(=仏語で「これいいね」)が誕生したのである。
以来、中村俊輔、松田直樹、中田浩二といった日本代表の面々の足下を支え、日本人プレイヤーから絶大な支持を得るスパイクとなった。



「今日の一枚。」
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ドコモ注目の新機種
「SH-04A」
ドコモのsmartシリーズからリリースされた、
新型のアクオスケータイ。


3.5インチタッチパネルで、
パソコンみたいにQWERTYキーボードも搭載。
Bluetoothや、顔認証機能付きカメラも搭載し、
現時点での最高スペックを搭載した
「全部入り」ケータイの最高峰モデルといったところか。
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by shibapiero | 2009-02-23 06:51 | 柴崎スポーツ コラム編

世界に“驚かされてしまう”/南アフリカ開催のわけ

少し古い話題になるが、
最終予選の大一番、先日のオーストラリア戦。
(祝日である建国記念日の日に、この大一番の一戦目をHOME開催でやったのは、FIFAに唯一口出しできる広告代理店として名高い、D通の力が働いたように思うのは僕だけだろうか・・・)
個人的に前半は見応えのある試合だったと思う。
しかし。90分を通して、特に後半はオーストラリアのディフェンス4枚と3ボランチの7枚の壁に阻まれ、気づけばオーストラリアの狙い通り、勝ち点1を分け合う結果となっていた。

試合を通して日本はボールポゼッションこそ高かったものの、縦へのスイッチがなかった。
(オーストラリアは得点源であるケネディをベンチに置いていたことからも、ある程度日本にボールを持たせて、ケーヒルのカウンター狙いという戦いであったから、ボールを日本が持たされていたという見方もあるが。)
前半、確かにいい形はあった。
中村がエリア内で縦にスルーパスを出したり、
右サイド深くから早くて低いボールをクロスして、
得点の匂いがする場面はあった。
しかしもっと見たかった。

縦に早いボールを付けて、バイタルエリアで玉田、田中、松井(大久保)、中村が当てて落として、三人目というタン、タン、タンという縦へのリズムがなかった。
田中達也も狭い方にターンしてしまうし、
松井も守備は身体を張って貢献したものの不用意なドリブルで失うことが多かった。
大久保ももっとシュートに絡みたかった。
また全体としてシュートへの意識が希薄で、
相手を脅かせたシュートは後半の遠藤のくらい。
バイタルエリアに入ったら、どんどん狙うべきだ。
内田も緊張してたせいか、パスミスが目立ち、
攻撃参加も(相手がイエローもらってるのだから)自分で仕掛ける場面が見たかった。

「日本は技術は上手い」とよく形容されるが、
実際その形容詞はアジアでは当てはまるが、
こと世界に目を移すと全く通じない形容詞である。


オーストラリアはFIFAランク27位。(先日の発表では日本は37位。)
当たり前かもしれないが、リーガを見ている方が全然レベルが高いし、なにより攻撃のスピードが違う。
でもW杯本番では、バルサ、レアルは例外としても、スペイン、アルゼンチンをはじめ欧州・南米のトップチームはバレンシア、セジージャ程度の力はある。
いやもしかしたらバルサ、レアルの力があるかもしれない。
昨日はレアル相手に大敗してしまったけれどスポルルティング・ヒホンや、マラガといった中堅クラブでも今の日本代表は危ないかもしれない。というか危ない。
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岡田監督が掲げる、「接近・展開・連続」更なる成熟と、
縦への共通意識のチーム理解を高めないと、
本番で世界に“驚かされて”しまう。

個人的には、ドイツ出身のフィンケ監督の下で高原が復調して、
FWの軸となって、帰ってきてほしい。


さて次回のW杯は、南アフリカ開催であるが、
なぜサッカーが大して強くもない南アフリカなのか。

FIFAのブラッターは大陸別にW杯を持ち回る方針をとっている。
ここ最近の開催地を振り返ってみると、
94年中南米(アメリカ)、98年欧州(フランス)、02年アジア(日韓共催)、06年欧州(ドイツ)ときている。そうサッカー大国、南米の名前がないことに気づく。
南米で開催されたのは、78年のアルゼンチン大会まで遡る。
(86年は、コロンビア開催の予定だったが、地震のためメキシコ開催になった。)
これは、今でこそBRICsのひとつであるブラジルは経済成長を見せているものの、
南米全体が自国の経済状況が思わしくないので、開催に手を挙げなかった。
そしてようやく14年に開催できる見込みがたったので、
そうなると10年は必然的に中南米、オセアニア、アフリカのいづれかになる。

BRICsの最後のsに入れるか入れないかと言われている南アフリカに話を戻すと、2002年のFIFA会長選挙にまで話を巻き戻す必要がある。
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当時、再選有力という状況でなかったブラッターは、アフリカ票を得るために、
10年を南アフリカで開催するという(裏)約束をしたという。
そいった経緯があり、
ブラッターの会長の椅子と同時に、
14年の南アフリカ開催が決まった。


従って、どんなに南アフリカが開催能力がないと指摘されても、
実際、インフラや施設工事が進んでいなくても、FIFAは南アフリカから開催権を取り上げることができない。ブラッターが会長である限り。

その証拠に、昨年末、クラブワールドカップの際に来日したブラッターは、
記者会見で、南アフリカの開催準備が順調に行われていることを評価し、南アフリカでの開催を改めて宣言したのである。


「今日の一枚。」
(うちはWOWOWなのでスカパーさんの)
セリエAなので見れなかったけれど、
注目のミラノダービーは問題児アドリアーノの活躍でインテルが2−1で勝利だって。
やっぱりアドリのポテンシャルはやばいね。これで放出濃厚だったアドリ、来季も残留?
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ちなみに、セビージャのMF⑧アドリアーノはすごいいい選手です。よく走るし、まじめそうだし。(笑)
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by shibapiero | 2009-02-16 21:50 | 柴崎スポーツ コラム編

日本代表の過去と未来 そして次期代表・・・

ご無沙汰しております。今日はすこしサッカーのお話を。

さて、ワールドカップもイタリアvsフランスの決勝を残すのみとなりました。(3位決定戦もあるけど)

 我が日本は1次リーグ突破ならず、Fグループ最下位に終わりました。世界的には、神様ジーコが監督していて、近年成長著しい日本(開幕直前に、地元ドイツと引き分けたことも手伝って)の早期敗退がサプライズと言われていたりもします。
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突破できなかったのは、結果だから仕方ないです。個人的には、オーストラリア・クロアチア・日本はどこが突破していてもおかしくなかったと思っている。日本は初戦のラスト10分を守りきれていれば突破できていたでしょう、しかも後にFIFAが誤審と認めた、PKを取ってくれていたら、2-0となり勝負はついていたでしょう。だから、運がなかったと言えばそれまでです。

 そういうこともあって、僕は、ここで日本は「こうだから敗退した」、「敗因、A級戦犯が誰だ」とかを言うつもりはありません。そういう批評は、セルジオさんを筆頭に、スポーツ番組の解説者や、サッカー誌で連日論議になっていますから。もちろん、僕なりの日本代表への提言・考えはありますが。
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しかし、日本のサッカー発展の為には、ここの敗退が非常によいものだと僕は思っている。というのも、Jリーグの発足以来、急激に日本のサッカーは成長した。韓国は永遠のライバルとか言われてるけど、正直15年前までは全く歯が立たなかった。それが(もちろん韓国もだけど)、世界のチームと互角に争うことを目的とするチームになった。国民も今回はワールドカップに出場してあたりまえ、という雰囲気だった。そして、彼らは見事その期待に応えて突破した。その期待は膨らみ、いつしかグループリーグを突破してあたりまえ、というような雰囲気にまでなっていた。個人的には、実力どうこうではなく、ジーコの生まれ持った勝者のメンタリティーというか、強運で突破しちゃうんではないか、と思っていた。だが、結果はグループ最下位に終わった。そして、“ライバル”韓国も敗退し、イランも、サウジアラビアも。そう、アジア勢は全滅したのだ。
 韓国、イラン、サウジについて述べるつもりはない。しかし、少なくとも日本国民は世界のサッカーを舐めていた。だって、世界の強豪国には、サッカーに対して100年以上の伝統と歴史がある。しかし、我が国日本はJが発足してたかが13年。90年余りのハンデを埋めようとしていて、勝手に埋まったと勘違いしている国民がほとんどだった。だから、この敗戦はサッカーは甘くない。けど、「日本にしかできないサッカーで世界に対抗するんだ」という意識を国民全体で認識できるいい機会なのだ。

 話を戻して、日本のワールドカップが終わると同時に、ジーコジャパンは解散した。時期監督にはオシムの名前が挙がっている。敗退しても、メンバーの23人は国民にとって誇だし、選手にとっても一生の名誉だ。たぶん、この23人のほとんどは、日本国民にとって忘れない名前になるだろう。しかし、ここまでの道のりで、ジーコジャパンに貢献したものの、大会のメンバーから漏れた選手を三人挙げる。是非とも、忘れてほしくない3人。藤田俊哉、鈴木隆行、三浦淳宏の三人だ。

アジア一次予選3月31日 シンガポール戦  
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日本は格下相手に苦しい試合が続き、この日も先制しながら追いつかれた。後半、暑さのためか、AWAYだからなのか、日本の運動量はガタッと落ちた。引き分けならまだしも、負けると、1次予選の雲行きが怪しくなる。そんな状況だった。
しかし、後半37分。後半途中から投入された藤田は値千金の勝ち越しゴールを決めて1-2で日本が競り勝った。






アジア一次予選予選10月13日 オマーン戦a0049167_23365148.jpg
厳しい1次予選が続く中、なんとか競り勝ってきた日本はこの試合勝てば、最終節を待たずに突破が決まる。AWAYとはいえ、チーム状況は決していいものではなかったから、勝って1次予選突破を確かなものにしたかった。
しかし、この日も主導権を掴みきれない日本。そんな嫌なムードを断ち切ったのは鈴木だった。後半7分。鈴木自身がもらったFKを小野が中村へパス。中村の個人技からクロス。中で合わせたのは鈴木だった。結局、この1点を守りきり、日本は1次予選突破を決めた。

アジア最終予選 バーレーン戦前夜の“アブダビの夜”

日本はアジア最終予選をバーレーン、北朝鮮とラスト2連戦を残すのみとなった。しかし、直前のキリンカップで2連敗。連敗後、ジーコへの解任デモが起きた。
バーレーン戦直前、崩壊したチームをもう一度立て直すため、アブダビで合宿を張った。しかし、敵地でのバーレーン直前だと言うのに、紅白戦で先発組みは控え組みに0-1で負けた。プレスのかけ方を、宮本中心に選手全員でミーティングしたという。「どこからプレスをかけるべきか」などディフェンス陣とオフェンス陣で意見がぶつかっていると、三浦がこう言ったという。
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「お前らバラバラじゃねーか」
こう続けた。 「俺はワールドカップに出ることが夢なんだ。俺は年齢的にも、ドイツ大会がラストチャンス。だから、この予選、どうしても突破したいんだ。全員で頑張ろう。」

この三浦の一言で、チームがひとつになり、そして、ビルドアップから、中田→中村→小笠原とつないで、小笠原の見事なゴールでバーレーンを撃破。続く北朝鮮戦も勝利で飾り、「世界最速」でドイツ行きを決めた。
しかし、残念ながら、この3人はドイツの地を踏めなかった。
23人の発表後、オシムは記者たちにこう言った。「23人の選手が選ばれたということは、それだけ外れた人がいるということ。久保もそう。そういう選手の存在を忘れないでほしい。巻が選ばれたけど、巻が選ばれるには、阿部を筆頭にチーム(ジェフ)にいい選手がいたから、巻が輝いたわけだし。」

ワールドカップで日本の敗退後、あるライターがこんなような記事を書いていた。「(アブダビの夜など、三浦淳の存在を、そして彼のメンバー落選を踏まえて)果たして、何人の選手が三浦淳に、「全力で戦ってきました。」と胸張って言えるだろうか。」と。全くその通りである。
だから、もう一度。この3選手を筆頭に、直前で漏れた久保など、23人のひのき舞台に立てた選手だけでなく、そういった選手の存在を日本国民の記憶から消してほしくない。彼ら抜きには、日本国民が突破して当然と思っていた、アジア予選突破は成しえなかったのだから。


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さてさて、時期代表監督濃厚のオシムさんに、是非ともお勧めしたいというか(まぁ、データスタジアムのPCから選手を眺めている僕よりも、オシムはJ2の試合までちゃんと見ているらしいから、選手については俺より詳しいけど苦笑)、柴崎ジャパンまた選んじゃいました。笑





あくまでも、2010年ワールドカップを見据えたメンバーです。4年後は、当然今の年齢にプラス4されるわけですから、そこも考慮しての人選となりました。また、海外組みについては、声をかけますが、日程的に厳しいようであれば、無理に呼ぶつもりはありません。次回召集時にまた呼ぶつもりです。

では私が、強化合宿に呼ぶメンバーを発表します。笑

名前(現年齢・チーム名)

GK 
川口 能活(30・ジュビロ磐田)
楢崎 正剛(29・名古屋グランパス)
西川 周作(20・大分トリニータ)

DF
田中 誠(30・ジュビロ磐田)
松田 直樹(29・横浜Fマリノス)
中沢 祐二(28・横浜F マリノス)
山口 智(28・ガンバ大阪)
古賀 正紘(27・名古屋グランパス)
加地 亮(26・ガンバ大阪)
岩政 大樹(24・鹿島アントラーズ)
徳永 悠平(22・FC東京)
水本 裕貴(20・ジェフ千葉)
内田 篤人(19・鹿島アントラーズ) 
  

MF
小野 伸二(26・浦和レッズ)
稲本 潤一(26・ウエストブロミッチ=ENG)
中村 俊輔(26・セルティック=SCO)
中田 浩二(26・バーゼル=SWS)
松井 大輔(25・ルマン=FRA)
相馬 崇人(24・浦和レッズ)
阿部 勇樹(24・ジェフ千葉)
佐藤 勇人(24・ジェフ千葉)
今野 泰幸(23・FC東京)
小林 大悟(23・大宮アルディージャ)
長谷部 誠(22・浦和レッズ)
藤本 淳吾(22・清水エスパルス)
中村 北斗(21・アビスパ福岡)


FW
高原 直泰(26・フランクフルト=GER)
大黒 将志(26・グルノーブル=FRA)
巻 誠一郎(25・ジェフ千葉)
佐藤 寿人(24・サンフレッチェ広島)
大久保 嘉人(24・セレッソ大阪)
田中 達也(23・浦和レッズ)
平山 相太(21・ヘラクレス=HOL)

ガンバの家長、広島の森崎兄弟、名古屋の本田圭祐、千葉の水野、フロンターレの我那覇、セレッソの苔口などは、かなり最後まで迷いましたが、人数、タイプの似た選手、経験不足などを理由に今回の召集は見送りました。



2010年へ、もう戦いは始まっているのです。
がんばれニッポン!!
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by shibapiero | 2006-07-07 23:46 | 柴崎スポーツ コラム編

答えは10年、20年後先に...

WBC日本優勝!
これがなにを意味するのか。ちょっとまじめに考えてみた。

ブラウン管越しにご覧になった方も多いのではないだろうか? それもそのはず、準決、決勝ともに瞬間最高視聴率を50%をたたき出したのだから。しかも、放映時間は夜のゴールデンタイムではなく、午前中やお昼時。いかに日本国民の期待が大きかったかを示す、いい数字である。
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WBCが開催されると初めて聞いたときは、まぁ五輪レベルなんだろうと思った。第一、野球というスポーツの人気は世界レベルで見ると低い。ボールひとつあればできるサッカーに世界的に引けを取るのは否めない。従って、優勝を本気で争えるのは、せいぜアメリカ、日本、まぁあとドミニカくらいかなと。そして、選手達のこの大会に対してのモチベーションも個人的に懸念する材料のひとつであった。開催第一回目で、こんな争う国が少ないなんちゃって地球一決定戦よりかは、自国、とりわけメジャーで頑張って来期の年俸アップした方が身のためだ。なら参加せずに、自チームのキャンプから参加したほうがいいだろうと。サッカーも日本ではACLへの参加意義はまだまだ低い。ヨーロッパの真似事して作ったACLだが、今のところこの日本サッカー界がACLのチャンピョンを本気で狙いに行っているかと言えば疑問符である。 まぁ、そんなようなことをWBCにも思っていた。

いざ開幕してみると、中国、台湾に圧勝したものの、勝手当然だし、まぁなんのドラマもなかった。
予選最終節、韓国。誰もが勝利を信じて疑わなかったこの試合、日本は落とす。
続く、決勝リーグ第一戦、アメリカに世紀の大誤審で惜敗する。熱しやすく冷めやすい日本国民は、この大誤審によってWBCへの関心が高まったと私は思っている。「誤審さえなければアメリカに勝ったかも」と。そして、負ければ敗退決定のメキシコ戦に圧勝することで、日本国民の関心は永田議員の弁明そっちのけでWBCへと注がれた。

しかし、決勝リーグ最終節でまたも韓国に破れ、準決勝進出が絶望的になる。おそらく、これで敗退していれば、日本国民はいつものように一瞬で王ジャパンブームは冷め、スポーツ番組の野球放送枠は、つまらないオープン戦の結果だけに縮小するはずだっただろう。

翌日。まさかまさかアメリカがメキシコに敗れることで、日本がアメリカえを失点率で0.01下回り、“棚ボタ”いがい何ものでもない準決勝進出を決めると、一気にヒートアップ!その後の王ジャパンブームは説明する必要はないだろう。

ある、経済ジャーナリストはこの優勝での日本における経済効果は「約350億円」と真顔で力説していた。
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日本は「代表戦」になるとプチ愛国心とでも言うべきか、関心が一気に高まる。サッカーにしろ、バレーボールにしろ、そしてオリンピックだって大好きだ。ちなみにオリンピックが一番好きな国民は日本らしい。

普段のリーグ戦での結果や活躍をないがしろにし、たとえ親善試合であろうとも代表戦だけを異常なほどにクローズアップすることが、いいのか悪いのか僕にはわからない。 しかし、(サッカーのケースだが)スペインのように州ごとの根深い対立関係故に、代表戦の関心が非常に薄かったり、イタリア代表のように、親善試合は本気でやらない。よりは個人的にはいいのかなと思う。
まして、今回の王ジャパンメンバーは近年の成績を反映した完全「実力主義」!人気や知名度などに囚われず、選出した。そのため彼ら、代表選手を注目する≒リーグ戦の活躍を称えることにも繋がる。皮肉なことに巨人の野手は誰一人いない(阿部は選出されたものの怪我したため参加せず)。 また、完全実力主義のため、ラインナップに実力はあるのに、認知度が低い選手も数多くいた。決勝で1番を打っていた川崎や捕手の里崎は全国的な知名度は低い。従ってWBCを通じて彼らの認知度が実力に伴えばなによりである。
日本にとってはWBCは成功だった。 しかし、アメリカやその他の国にとってはどうだったのか。最強と謳われたアメリカにとってこの大会の敗退は何を意味するのか。WBCの存在価値はあるのか。

ただ、ひとつ言えることは、WBCの影響で野球を始めるちびっ子が増えれば、日本にとっては、大成功といえるだろう。
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あるジャーナリストはこういった。「10年後、20年後、“王ジャパン世代”と比喩される世代がくるんですかね、楽しみですね」と。 
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by shibapiero | 2006-03-23 12:57 | 柴崎スポーツ コラム編

極寒に桜咲く

8日から本格的にサッカー部の練習が再開した。そして、今日から3日間トライアウトという形で、スタッフ全員が見守り、紅白戦でふるいにかける。1年で最大のチャンスと言っても過言ではない、この3日間を僕は、怪我(年末に手術した箇所が完治していないため。ちなみにギブスは取れた)のため棒に振ることになった。

「歯がゆい」とはこのことなのか、これまでのサッカー人生において、まともな怪我をしたことのなっかた僕は、初めて怪我でサッカーができないもどかしさを味わっている。なんとも苦くいこの味は、アスリートなら誰もが舐める苦汁といったところなのか。 

そんな中、今日からアスリートの祭典、冬季オリンピックが開幕する。イタリアのミラノに並ぶ北の都市。トリノ。この街はとにかく寒い。しかし、ミラノほどの人混みがはなく、スピードスケートの岡崎朋美は「(今までの遠征先の世界中の中で)どれもいい街だったけど、住んでもいいかなと思ったのはこの街だけ」と言う様に、評判のいい街だ。サッカーの名門、ユベントスのホームタウンンとしても名高い。
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僕は純粋にこのトリノオリンピックが楽しみだ。小学校~中学2年くらいまで、半ば本格的にスキーをやっていい身としても。あの頃はよく高岡兄弟、田中真奈という幼馴染と、4人でゲレンデを滑走した。技術のユウスケ、スピードのシンスケを追いかけるように、シンヤが滑り、そしてマナが続くという図式はいつしかお決まりになっていた。しかし、現在まともにスキーを続けているのは真奈一人。すこし残念だ。今、彼女はスキーインストラクターを目指している。頑張ってもらいたい。
話はだいぶそれたが、そんなこともあって、、夏のオリンピックよりも個人的には好きなのだ。

今でこそ、国民的アイドルといえば安藤美姫であるが、98年長野オリンピックで一躍国民的アイドルになった二人のアスリートがいる。岡崎朋美と里谷多英だ。前者は日本女子短距離初の銅メダル、後者は世界を激震させた完璧なターンでこちらもスキー日本女子初の金メダルを獲得した。そんな彼女達も34歳と30歳、オリンピック出場4回、3回とベテランである。岡崎は日本選手団の主将にも任命された。そんな元・国民的アイドルの二人にクローズアップした短編コラムをお送りしよう。

岡崎朋美。

94年リレハンメル、98年長野、02年ソルトレイク、そして06年トリノ。
自身2回目の長野で見事銅を獲得している。しかし彼女は長野の滑りに納得してはいなった。後に「スケートをうまく履きこなせなかった」と語っている。大会後、岡崎朋美の名は日本中へと広まった。そのルックスと朋美スマイルと称された100万ドルの笑顔は、自国開催で盛り上がっていた日本においても特別の存在だった。ただ彼女は自分を見失うことなく、納得できなかった滑りの改善のためにスケートに没頭した。
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長野から1年後。彼女は椎間板ヘルニアと勧告される。
椎間板ヘルニア、アスリートにとってこれほど聞きたくない病名もそうないだろう。慢性的な腰の痛みを伴い、手術なしには完治は不可能、手術をしても元のコンディションまで回復させるのは極めて難しい。引退の道もあったはず。この時、岡崎28歳。オリンピックでメダルも獲った。年齢、実績から考えても花道を。という筋書きも普通なら悪くはない。岡崎は、全く悩まなかったという。手術して、現役続行。これが、どれほど苦しい道かは彼女が一番わかっていたはずである。腰を手術したスケート選手が、第一線に復帰した例は過去になかったというからだ。しかし、彼女は「いばらの道」を選んだ。もちろん、術後の成績は全く振るわなかった。周囲では「岡崎はもう終わった」いつしかそんな言葉が囁きだした。

「怪我から学ぶことはたくさんある。」 怪我を乗り越えて復帰した選手の多くが口にするフレーズである。

そうは言うものの、怪我が回復するまで、リハビリの期間、自分を奮い立たせることが、どれほど難しく、どれほど孤独なものなのか、痛いほど今の自分はわかる。まして私の怪我は幸い完治が見えている。あと1ヵ月半もすれば、痛みこそ残るものの復帰はできそうだ。それに対し、彼女の椎間板ヘルニアは完治が見えずらい。しかも、メスを入れてから復帰したスケート選手はいないという“常識”がある。 

2005年1月。W杯。表彰台の真ん中には、岡崎がいた。
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不屈の精神力とはこのことなのか。私が愛してやまない、元サッカー選手はこう言った。 「私がここまで現役を続けられたのは、ただただ情熱があったからなんだ。」情熱。彼女をここまで走らせたのは、間違いなく情熱であろう。「スケートが好きだ」この純粋な気持ちが世界の頂点まで彼女を押し上げた。




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4度目のオリンピック。 もう怖いものは何もない。
「魔物さん、どうぞいらっしゃい、手の平で転がしてあげるわ」
先日の記者会見で、鼻かぜだと告白した彼女だが、私は全く心配していない。
日本国民に、バレンタインを。朋美スマイルが極寒トリノの街に凛と咲く。


女子スピードスケート500m 2月14日 24:00~ (日本時間)




里谷多英。

長野で金、ソルトレイクで銅。見事な実績だ。
モーグルといえば上村愛子と里谷多英。上村はW杯でも2勝しており、今大会の日本の“顔”と言っても過言ではない。金メダルの本命の一人であることに間違いはない。
一方の里谷はどうだろう。あの事件以来、歯車がずれてしまった。日本代表選出も、実績を買われてのものだった。メディアへの露出が上村より劣るのも無理はない。
a0049167_1072210.jpg長野の滑りを私は今でも覚えている。完璧なターン、無駄のない滑り、そして抜群のタイム。コブ斜はほんとうにムズイのだ。膝のクッションを使い、コブとコブの間を滑っていく。これが里谷はずば抜けて上手い。エアは上村には間違いなく劣る。そのことは本人も十分わかっている。しかし、天才的なあのクッション、男子顔負けのキレのある滑り。私は早く見たくて仕方ないのである。



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もしかしら、金は難しいかもしれない、上村はコークスクリュー720という体をくねらせながら回転する男子顔負けの大技をおそらく成功させるだろう。他の並み居る強豪も見事な3Dを決めてくるはず。でも里谷にはスキーがある。 昨日の記者会見で「後悔しない滑りをしたい」と語った彼女。おそらく彼女の最後となるであろうオリンピックの晴れ舞台。


「やっぱり、多英はすごかった!」日本中がそう、歓喜するだろう。

私は確信している!
「里谷!3大会連続のメダル獲得!!」そう、実況が狂喜乱舞することを。

二人のベテラン、いや二人の大和撫子の笑顔。
トリノで一足早く、笑顔という名の桜が咲く。


頑張れニッポン!!


女子フリースタイルモーグル 2月11日 23:00~ (日本時間)
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by shibapiero | 2006-02-10 09:59 | 柴崎スポーツ コラム編

極限が生んだ最高の美

今日退院しました。 手術は無事成功したのですが、術後連日39℃以上の高熱が続き、本当に死んでしまうのでは・・・?と思いましたが、無事熱も下がり、抜糸をしてギブスを巻いて退院してきました。まだこれから、2ヶ月弱はギブス巻くので面倒ですが、まぁしゃあないです。
僕を手術してくれた山崎先生は、メージャーリーグの指定医師なんだそう。3時間以上にわたる手術が終わった後、母親に山崎先生は「正直、骨がくっつくという保障はないです。しかし、私の中では満足のいく完璧な手術でした」と。  よかった、よかった。

さてさて、ご覧になった方も多いのではないでしょうか? 先に行われた、全日本フィギュア。結果は皆様ご存知の通り。トリノ五輪代表最終選考もかねた一戦とあって非常に白熱しました。
そこに、幾多のドラマがありました。
今回は大混戦だった女子にフォーカスして書こうと思います。 
ちょっとネタが古くなっちゃいましたが、書く価値があると思うので、書きます。
久々の柴崎スポーツ発行になりますね!(笑)


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24日のSPが終わって、首位に立ったのは荒川だった。
2位に村主、3位に浅田真央。 以下、恩田、中野と続いて安藤は6位。

6人ともノーミスだった。 荒川は今期SPをノーミスで滑ったのは今大会が初めてだった。

一夜明け、加熱する報道。誰がトリノ行きの切符を手にするのか。安藤の4回転はあるのか。混沌としていた。
女子フィギュアスケート。かつてこれほどまでにこの競技が注目されたことはあっただろうか。かつてこれほどまでに代表選考が熾烈だったことはあっただろか。しかも、今年は例年よりもオリンピック行きの枠は一つ多い。にもかかわらず、熾烈を極めた。
極限のプレッシャーだったはずだ。 明日で決まる。明日でトリノに行くのか、行かないのか。
どのような心境だっただろうか。(浅田真央は年齢制限のため出場できないため)3つの枠を5人で争う。もちろん5人全員にトリノ行きのチャンスがある。

安藤は加熱する報道に嫌気がさし、アメリカに渡った。
恩田も復活を目指し、アメリカそしてカナダへと渡った。
また、荒川はコーチを代えアメリカから日本に戻ってきた。
村主は怪我をし2ヶ月もシーズンインが遅れた。
1年前までノーマークだった中野は、安藤の親友からライバルになっていた。

賭けていた。

25日。クリスマス。この国の無宗教を象徴するかのように街では賑やかにクリスマスを祝っている。しかし、彼女達は自分に自分で最高のクリスマスプレゼントを贈れるように何度も何度もイメージトレーニングを重ねたはずだ。
とにかくそれぞれの最高の演技が見たい。病室で横になりながら、切に願った。
浅田舞、澤田の演技が終わり、ついに最終滑走6人が最終ウォーミングアップのため、銀盤へと散った。張り詰める緊張感。五人のライバルと一人の少女。a0049167_18165969.jpg浅田真央だ。女子では世界初となるトリプルアクセルを2回飛ぶことに自信を見せる日本の宝は笑顔でウォーミングアップを終えた。




第一滑走は荒川。ジャンプで崩れるも持ちこたえ、その後の滑りで挽回し結果的にテクニカルルーティーンの5項目はこの日トップだった。
そして、浅田。本当に決めた。女子世界初トリプルアクセルを2回入れた。歴史はこんなにもあっさり作られてしまうのか。恐れをしらない15歳はどこまで成長を続けるのだろか。
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恩田。完璧だった。演技終了後渾身のガッツポーズ、そして悔いのない滑りに思わず銀盤の輝きに勝る涙が輝いた。観衆にもガッツポーズで応えた。




中野。彼女もノーミスで「満足です」と自ら言えた最高の滑りを見せる。a0049167_16381364.jpg
村主。主役だった。最後の高速スピンを回ると、主役の舞にスタンディングオベーションが起こった。
安藤。大きなミスこそなかったが決して満足のいかない滑りだった。しかし、笑顔で観衆に応えた。

SPも合わせた総合結果は・・・
1位 村主章枝
2位 浅田真央
3位 荒川静香
4位 恩田美栄
5位 中野友加里
6位 安藤美姫

小さなミスはあったものの、最高の演技だった。本当に美しかった。
演技前、「人」の文字を手のひらに書いて飲み込む者、手を合わせ神に祈りを捧げる者・・・
極限の集中力の中、最高の演技が行われた。
建築家・安藤忠雄はこんなことを言っている。

「極限状態での可能性の追求が、本当の意味での創造につながると、私は考えています」

最高の美が創造された。 

銀盤の妖精たち。こんな言葉で比喩されるが、やはりこの言葉を用いずにはいられない。彼女達は間違いなく東京代々木に舞い降りた、銀板の妖精たちであった。


そして、3つのクリスマスプレゼントが渡されようとしていた。
勝利の女神は甘くそして残酷である。

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会場内にアナウンスが流れた。
「トリノオリンピック女子フィギュアスケート日本代表一人目はぁ・・・村主章枝選手です!」

辛かった。9月に原因不明の股関節痛に悩まされた。大好きなスケートができない。
「なにかスケートに生かせないかと、読書をしたりバレエを見に行きました。復帰してからは最初は間に合うのか毎日不安でした。でも、間に合うと信じるしかありませんでしたから。」大晦日に25歳の誕生日を迎える日本女子フィギュア界のリーダーは、「みなさんと希望の道を歩みたい」と誓った。

そして、「二人目はぁ・・・荒川静香選手です!」

二人目は女王・荒川だった。
8年前、全日本を2連覇したことでなにもわからぬまま当時高校生で挑んだ長野五輪。結果は13位の惨敗だった。 学生最後となる年の、04年の世界選手権で日本人3人目となる世界一の称号を取り、引退を考えていた。トリノは自分より若い世代の大会。しかし、帰国後の記者会見。記者から「トリノは?」と聞かれ、答えに困ったもどかしさが、トリノ挑戦を決めたという。
女王は「(トリノは)自分のスケート人生賭けて戦います。」と女王奪還を誓った。

「日本代表最後の一人は・・・安藤美姫選手です!」

安藤は「オリンピックは自分の力を出し切った選手が行くべきなので」と諦めていた。6位と出た得点発表の時、10年のバンクーバーで勝てるように頑張ろうと思っていたという。事実、演技終了後、安藤は原宿に選手全員集合の時間まで買い物に遊びに行っていたという。
小野フィギュア部長も今期の不調から国民的アイドルの安藤を(代表選考から)切る覚悟があったという。しかし最後は代表選考ポイントの1位の価値を尊重した。
安藤も苦しかった。度を過ぎた報道、度重なるゴシップ・・・「本気でスケートやめようと思っていました。」そんな安藤を蘇らしたのはアメリカにいたジェンキンスコーチ。彼女は安藤のことを誉めて誉めて誉めまくったという。雑音のないアメリカで安藤は本当はスケートが大好きなんだと気づかされた。 「楽しくって、オリンピックという目標もあって・・こんな楽しいスポーツないですね」と笑顔で言えるようにまでなった。 想定外の代表内定の知らせを聞いて「チョーうれしい」とはしゃいだジャネット・リンに憧れる18歳はトリノで、最高の笑顔で4回転を飛ぶ!

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2月21日のトリノ五輪・女子フィギュア開幕に向けて、元旦からフィギュア日本代表はトリノへ発つ。(補欠に内定した恩田・中野を含めた5人で出発。男子も同様。)
銀盤の妖精たち、いや銀盤の大和撫子たちがトリノの表彰台を貸切にする。
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by shibapiero | 2005-12-29 16:50 | 柴崎スポーツ コラム編